障害の受容

くばっち

2010年06月07日 02:58

障害の受容は、全てのリハビリにとって大きな課題の一つだと思います完全に治ることがあればそれは必要ないのかもしれませんが、脳卒中で重度の障害を負った場合やせき髄損傷の場合はその後遺症は大体残ります。

今までできていたことができなくなり、見た目も大きく変化する場合があります。実はできなかったこともできるようになっていますが(右利きで右片麻痺だと左手で箸を使う、片手で何でもこなす)、そこは障害がなければ獲得するはずもなかったので、肯定的にとらえるのはなかなか難しいでしょう。

障害受容がなかなかすすまない、というのは例えば障害を気にしてヤーグマイしたり、機能回復のためだけを目的としたリハビリに固執することも含まれます
詳しく言うと、杖や車いすで外出可能だが、見た目を気にして外に出ないとか、単語で話すこともできるが馬鹿にされるのではと思い話をするのが嫌で人と会わなかったり、目標が日常生活に反映されておらず、道具が使えればいいのではなく病前のように使いたいからとか、コミュニケーションのツールとしてではなく病前に字が書けていたから字の練習をしたりするなどです
リハビリに固執するのはリハビリのモチベーションとしては大事ですが、度を過ぎるとリハビリのためのリハビリになり、本末転倒になってしまう恐れがあるのです障害の受容がすすまなければは本来のリハビリの妨げになり、その段階での日常生活にも支障をきたします。

あくまで私の個人的意見ですが、障害に対して負のイメージが強い方ほど受け入れられず、その負のイメージを社会全体の通念であると思い込み、社会が障害者である自分を否定するから自分もその状態を受け入れない、という場合も多いと思います。なので障害の為これができないから悲しい、ではなくこれができない自分は社会に認められないはずだから悲しい、となっているのだと思います。

言語聴覚士なのに日本語がおかしいと周囲からよく言われますが、私自身もそう思います文章力が足りなくて自分でも訳がわからなくなってしまいましたので今回はこの辺で。。。




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